稲沢市議会議員 しちおう ブログ

不登校を経て、作業療法士として病院に勤務、現在は稲沢市議会議員として活動する「しちおう」のブログです。

3月11日と風の電話。そして、悲しむという作業。

東日本大地震から今日で6年。

日常に追いやられて、頭の片隅にしまわれたあの日が、3月11日に近付くにつれて増える震災関連のニュースで呼び起こされる。常に思い続けることができないことに後ろめたさを感じながらも、たった一日だけでも、思いを馳せることの意味を考えている。

 

風の電話

被災地である岩手県大槌町に、風の電話と呼ばれる電話ボックスがある。

電話と言っても形だけで、電話線は繋がっていない。利用するのは、震災で大事な人を亡くした人たちで、誰にも繋がることのない電話に語りかける。震災から月日が流れた今、残された人はその電話で何を話しかけるのか、取材した番組を見た。 f:id:shichioh:20160329232945j:plain

映像には、一見、震災を乗り越えたように見える人も、電話を手に取ると涙が止まらなくなり、溜め込んでいた気持ちを一気に吐露する姿が映し出されていた。“大丈夫”と必死に上書きした気持ちの下にある、“大丈夫じゃない”という気持ち。ずっと、周囲だけでなく、自分すら大丈夫だと言い聞かせて、“つらい”という思いを心の奥にしまっていたのだろう。

 

「悲しむ」という作業

被災などで誰かを亡くすことと、障害で体を失ったりした後に辿る心の経過はもしかしたら似ているのかもしれない。ショックを受けて、もがいて、次第に受け入れて行く。

そして、いつかは悲しみにさよならを告げて、残された人や日々を生きていく必要があるのだろうけど、その前に「悲しんでいる自分自身の気持ちに気付き、認めること」がとても大切だと感じる。

悲しみを見ないように蓋をして、その上に積み上げられた“大丈夫”は、歪な土台の上に立っていて、容易に崩れてしまう。また、たとえ、同じようにつらい人が周りに居たとしても、その人の持つつらさはその人だけのものだから、悲しい時は、悲しんで良いのだと思う。そうして自分の気持ちを無視せずに、目を向けることが、再び立ち上がるためのプロセスとして必要なのだと思う。

それを促すのが、故人との会話であり、風の電話なのかもしれない。

 

生きているだけで

私たちは、年月を捉える上で、5年を超えたあたりから“区切り”を感じる。「もう5年も経った、いつまでも悲しんではいられない、前を向こう」と勝手に踏ん切りをつけようとする。そして、それをどこかで被災された人にも求めているように思う。

でも、亡くなった人や、失った故郷に向けた心を埋めるには、5年はあまりに短いし、年月は誰しもに等しく区切りを与えるわけではない。大丈夫かどうか決めるのは、年月でも、他人でもない。本人が立ち上がるまで、部外者の私たちは、区切りをつけず、ただ思いを寄せるしかないのだと思う。

 

 

東北地方だけではなく、様々なところで被災された人がいる。また、被災とはまた別で、悲しみに暮れる人がいる。場所や、出来事の大小を抜きにすれば、みんな何らかの悲しみを抱えながら、それでも生きている。別にポジティブでなくても、ネガティブでも良い、別に良いことなんてしなくても、生きているだけで前向きなんだと信じたい。

 

しち おう/志智 央
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