実家から徒歩5分くらいのファミレスで、
ドリンクバーの薄いジュースを飲みながら友人と話をしていた。
不意に、もし5分後に死ぬとしたら残りの時間で何をする?という話が出たのだけど、
考えている間に5分が経ってしまった。
もっといろんな世界を見たかった、もっと仕事で人に貢献したかった、ワンピースとハンターハンターの結末を読みたかった、などが走馬灯のように駆け巡るけど、どれも5分ではできない。
人生の目的に、お金持ちになりたいとか、有名になりたいとかを挙げる人がいるけど、残り5分というシビアな終わりを提示されると、そんなのはどうでも良いことのように感じられる。お金を持っていても、5分ではせいぜいファミレスの会計を済ませて、周りにバラまいて終わりだ。
僕はどうするだろう、というかどうしたいだろう。
ひとしきり考えた後に出した答えは、
目の前の友人と1分間話をして、実家まで文字通り死ぬ思いで走っている2分の間に妻に電話で、そして最後の2分間で両親に、感謝を伝えるだった。
自分でも意外なくらい、普通のことだった。
ちなみに、一番悩んだのは徒歩5分の道を、このわがままボディをもって2分で走り切れるか?で、火事場のなんとかで乗り切れると判断した。
残り5分を数時間に引き延ばしたとしても、やることは大して変わらないだろう。
高校、専門学校、病院、街頭で出会った人たちに、ありがとうと伝えるだけだ。これを数日、数週間と延ばしていくにつれて、少しずつ他のことが思い浮かんでいく。自分の大事にしていることの順位が分かってくる。
そして同時に、
優先順位の低いことにばかり気をとられ、
大事なことに時間を割いていない今の自分に気が付く。
いつでも側にある終わりを意識しないと、
すぐに日常のいろいろなことに翻弄されて、優先順位を見失ってしまう。
こんなこと真剣に考えるのはバカらしい、
あと5分で死ぬという前提がまずおかしいと思うかもしれない。
でも、7年前の3月11日に、それが誰にでも起こり得ることだと僕は知った。
3月11日の前後くらいしか被災地に思いを馳せられない薄情な僕も、
あの日の前と後とでは、何か違っていたい。何かを学び取っていたい。
残り5分の命でなくても、大事な人に感謝は伝えられる。
もしもの時でなくても、今できることがある。
忘れずにいたい。日本大震災の記憶と共に。
みなさんは、人生の残り5分で何をしますか?
しち おう/志智 央
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