稲沢市議会議員のしちおうです。
前回の投稿で「不登校は子どもに”問題”がある」と捉えられがちだけど、そうではなくて「学校という”環境”にあるのではないか」といったことを書きました。あれからもう少し考えを整理したので、まとめます。
自分の中で引っかかりのある言葉や考えは、突き詰めて、言葉として再び外に出さないと気持ちがわるいのです…
まず、不登校って「子どもに”問題”がある」とよく言われるんですよね。
でも、本当にそうなのかな?って最近よく思うんです。
不登校って、言い替えると、「子どもが、自分にとってつらい環境から、距離を置けた」とも言えます。心も体もボロボロになるまで通い続けて、自殺にまで追い込まれてしまう子もいると思うと、「不登校を選択できたこと」は問題でも、誤りでもない、と感じます。
子どもが減る中で、不登校の子は増え続け、今年は過去最多を更新しました。
これは本当に子どもだけの問題なのか、学校のシステムや環境に無理が生じていたり、今に対応できていなかったりするのではないか、と感じるのです。もちろん、言うまでもなく、すばらしい学校、先生もいます。ただ、”学校ガチャ”、”先生ガチャ”、と呼べるような差と、そうなってしまうような過酷な労働環境含め、システム、環境的な問題があるとも思うのです。
・学校ガチャ・先生ガチャ
おもちゃが出てくる「ガチャガチャ」のように、良い学習環境が”運頼み”であり、“くじ”や“抽選”のようなものになってしまっているという意味で使用
福祉分野では、”障害”はその人にあるのではなく、”環境”にあると考えます。
車椅子に乗る人が移動に制限を受けるのは、足が不自由なその人に問題があるのではなく、移動しにくい道や建物に問題があるから、変えよう(バリアフリーにしよう)と言った具合に。
今、この視点が学校にも求められているのではないか、と感じています。
稲沢市議会議員 しち おう/志智 央
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