稲沢市議会議員 しちおう ブログ

不登校を経て、作業療法士として病院に勤務、現在は稲沢市議会議員として活動する「しちおう」のブログです。

本当に必要な公共施設とは

稲沢市は、約10年前に稲沢市祖父江町平和町が合併してできた。

私の住む祖父江町には町役場があるけれど、今年移転(保健センター祖父江支所内)した。町役場の耐震性が低いためだ。これから取り壊されるにあたり、跡地に何を設けるか?が議論に上がっている。

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公民館を作る、貸し部屋を作る、郷土資料館を作る、とりあえず豪華な建物を作るなど、いろんな人のいろんな案を見聞きする。詳細は、9月3日に住民説明会があり、そこで説明がなされるらしい【平和支所跡地:10時〜11時30分 農村環境改善センター2階、祖父江支所跡地:13時30分〜15時 祖父江町体育館2階】

 

 

新しい公共施設を作るとき、「市民の憩いの場」というフレーズがよく出てくる。私は、市民って誰を指すのだろう?、憩いの場って何だろう?と思う。

 

 

誰のための施設なのか。

公共施設を作るとき、意見を聞かれるのは主に「公共施設を使う人」と「公共に近い存在の人」だ。利用者の意見と、声の大きい人の意見が最大限取り入れられて施設が作られる。

そして、元からの利用者が使い続け、新規利用者は減る。声だけ出す人は、実際には使用せずに利用者にはならない。

 

「市民の憩いの場」には「本当の意味での市民」は含まれていないのです。

 

今、公共施設の利用者は高齢化している。あと、20年後に利用者はほとんどいなくなる、つまり、不要な公共施設ができ、その負担を次代が背負う。

もし作るのであれば、新規利用者を増やすことが必須で、そのためには、「公共施設を使わない大多数の人」の意見にこそ耳を傾ける必要がある。

 

当事者を増やす。

公共施設は、人のもののように感じられるけれど、自分たちのお金で作っている。その意識が薄れているのは、自分たちで作る施設ではなく、与えられた施設になっているからだ。当事者が全然いない。だから、利用しない。

叶うならば検討の段階から市民を加え、建設中にも進捗がわかるよう徹底的に情報公開に努めるなど、みんなの公共になる仕組みが要る。

 

施設に愛着を持つとか、町のシンボルになるとか、それは施設が大きいから、あるいは豪華だから芽生える気持ちではないと思う。重要なのは、関わる人を増やせるかどうかなんだ。

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(敢えて広場を作って、建物への導線を作った例)

 

shichioh.hatenablog.com

 (交流スペースを設けたり、施設内を外から見られるよう設計した例)

 

本当に必要なの?を問い続ける。

お城の1口城主なんて良い例で、人のお金じゃなくて自分のお金を直に使えば、当事者意識は作れる。そもそも、本当に欲しい施設ならば、自分たちの手で作り出す気持ちで臨まなければならない。

 

そうならないのは、本当に欲しいものではないからじゃない?

 

であれば、どうしたい?本当に必要なものはなに?そう問い、考え続けた先に、この街に必要なものが見えると思う。それは、ハコモノを作るだけの単純作業よりとても大変だけど、愛される街や施設を作った自治体はいずれも向き合っていた。

 

 

途中の行程を省くほどに、成果物の質は落ちていくのかもしれない。

 

 

ちなみに、町役場の跡地は、私の住む地域です。

「本当に必要かどうか議論しよう」とか、「どうせ作るなら、質素でも良いから、みんなが使うものにしよう」とか書くと、「地元の議員なのにけしからん!豪華な施設が必要に決まっている!」と怒られるので、内心ヒヤヒヤしております。

 

でもね、一度、考えてほしいのです。自分のお金だったら、それ作る?その建物作ったら、本当に使う?ってことを。みなさんとも議論したいテーマです。