稲沢市議会議員 しちおう ブログ

不登校を経て、作業療法士として病院に勤務、現在は稲沢市議会議員として活動する「しちおう」のブログです。

インターネットのポジティブな要素とネガティブな要素。

稲沢市議会議員のしちおうです。

先日、若い女性がSNSでの批判を苦に自殺したというニュースがありました。

とても悲しい出来事ですし、毎日100件以上、知らない人から批判が寄せられたら、誰でも気を病むと思う。つらかっただろうし、恐かっただろうと思う。

 

批判の原因は、TV出演時の言動等にあるようだけど、TVの演出を真に受けてしまう人がたくさんいることと、見ず知らずの赤の他人なのに見るに耐えないような言葉を投げかける人がたくさんいるということに驚く。

 

この二つのことって、遠いようで、実は近いんじゃないかと思います。

TVの演出を真に受けてしまうということは、見たままを受け取ってしまうということ。物事を多面的に見られない、だから、TVで見せる顔以外の姿に想像がいかない。

そして、彼女の背景にある人生や大切な人たちに想像がいかないことが、見ず知らずの赤の他人なのに見るに耐えないような言葉を投げかけられることに繋がる。その言葉を受けて、相手がどう感じるか想像が及ばない。

 

「女性が自殺したことで初めて自分のした誤りに気付く、罪に苛まれる」という意見もあるけど、ぼくはそう思わなくて。相手の背景を全く想像できない人にとって、相手の死はどこまでいっても他人事で、自分の行動が少なからず人の死を後押ししたことにすら気付かないのではないか、と思う。

 

そんな彼らに対して、「批判するな、中傷するな、ネットリテラシー(インターネットを理解し、扱う力のこと)を養おう」と言っても、きっと届かない。そもそも、どんな言葉や行動が相手を傷付けるか分からないんだから。

 

どうすればいいのだろう?

ぼくもSNSを利用していて、戸惑う場面が少なくないから、他人事とは思えない。

ただ、SNSのネガティブな要素が想像を超えていて、何が対策になるかは正直分からない(10年前、こんなにインターネット上に批判、誹謗中傷って溢れていただろうか…)

 

インターネットは自由な空間であるべき、規制はできる限りしない方が良いとは思う。

でも、人が死んでいる以上、そのままにもしておけない。判別が難しいけれど、批判、誹謗中傷、差別の言葉を見えなくしたり、量を制限したり、投稿を踏み止まらせる仕組みは必要だと思う。

 

たとえば、人を傷付ける発言を定義して、

「その言葉、本人を目の前にしても言えますか?」

「その言葉を、 大切な家族や友人のいる〇〇さんへ、本当に送りますか?」

という通知が出るような。

 

あるいは、匿名性が盾とならないように、言葉が人を傷付けるということを理解するために、相手の情報開示請求を低コストでできるようにすることくらいだろうか(現状では起訴に持ち込むための情報開示に時間とお金がかかりすぎるため、被害者が泣き寝入りしてしまう)

 

ぼくは、インターネットやSNSを、知らないことを知れる、知らない人と出会える、とても素晴らしいツールだと思っています。だからこそ、今の殺伐とした、悪意を増幅させるツールみたいになっているのが、つらいんですね。。

インターネットやSNSのポジティブな面をもっと大きくできるように、一人一人が賢く使うこともそうだし、どうすればより良い環境になるのか、考え続けていきたいと思います。

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稲沢市議会議員 しち おう/志智 央
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