あるTV番組を見ていた時に、
外見に対してコンプレックスを抱える人たちが出演していた。
僕自身も特に10代の頃はそうだった。同じような悩みを持つ人は多いのだろうと思う。
さて、僕らはなぜ外見に対してコンプレックスを抱くのだろうか?
それは、正解があるからだと思う。
まぶたは、一重よりも二重の方が良いし、目は小さいよりも大きい方が良い。
男性では特に、身長は低いよりも高い方が良いし、
女性では、体重は多いよりも少ない方が良いとされる。
その正解のイメージから外れた部分が、コンプレックスになりやすい。
自分ではそうと思わない場合は、周りが親切丁寧に教えてくれる。
「不細工」、「可愛くない」、「デブ」などのネガティブな言葉でだ。
これらの言葉は、呪いのように人の心の中に残って、自信を奪っていく。
僕は昔から色白で目が細かったので、
平安時代に女性として生まれたら良かったのにねと子どもの時に言われたことがある。
大きなお世話である。
僕が生きているのは今だ。
生まれる時代は選べないし、この顔も変えようがない。
この姿で今世を生き抜いていくしかない。
では、平安美人の僕が、平成の世で不幸なのかと言うと、そんなことはない。
この姿を好きになってくれる人はいるのだ。
正解とされる姿に近くなければ、
つまりかっこ良く(可愛く)なければ愛されないというのはマボロシにすぎない。
そのままの自分を受け入れてくれる人は必ずいる。
だから、誰のものか分からない価値観や他人の言葉に振り回されて、
個性的な部分を隠してしまうのはもったいない。
隠してしまったコンプレックスの中に、
その人らしさや、かっこ良さ、可愛さも内包されていることがあるからだ。
僕のこの開いているのか閉じているのか分からないくらいの細い目も、
切れ長の目、日本人らしい目と言われて一部では人気だ。
つまり、100人に愛される外見もあれば、2人に愛される外見もある。
そこで100人に愛されようとすると、2人は離れ、誰にも響かなくなるのだと思う。
それに、外見問わず、前向きな人は素敵だ。
僕らは、どのような顔や体で生まれてくるかは選べないけど、
どのような生き方をするかは自分で選ぶことができるってことだと思う。
コンプレックスを弱さだとは思わないで。個性に変えて、前向きに生きていきたい。
しち おう/志智 央
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