稲沢市議会議員 しちおう ブログ

不登校を経て、作業療法士として病院に勤務、現在は稲沢市議会議員として活動する「しちおう」のブログです。

筆者より解説のうまい友人による勉強会のレポート

先日開催した勉強会の感想文を友人が送ってくれました。

内容が素晴らしかったので、本人の許可を得た上で転載します。

ちなみに、誰かが僕よりも的確な言葉で勉強会のレポートを書いてくれるだろうから、自分は感想文に近い内容のレポートだけにしようと最初から思っていたのは内緒です。

 

友人が主催するLGBTの勉強会に参加しました。

「『LGBTの人』を社会でどう受け入れるか」というアプローチだったら違和感ですが、「『LGBTという枠』を通して社会にどう働きかけるか」という姿勢を感じる勉強会で、とっても充実した時間でした。

当事者の方が感じてきた社会のなかでの障碍、生きづらさに、「大多数のもつ価値観が前提とされて動く社会」の残酷さに苦しめられる状況は、どのジャンルの少数派も同じなのだなと感じました。


LGBT」という言葉で括られること自体、私は当事者ではないけれど違和感をもちました。そもそも「ホームレス」と一緒で、「LGBT」という人は「こういう人」という固定化がされはしないか?そして名称がつくことで「固有のその人」を見えにくくしてしまわないか?性理解が「LGBT」と「それ以外」という二項対立で安直な理解になりはしないか?性の在り方はもっと多様で複雑で、個々人の生まれ育ちも含め、流動的なものかもしれない。


SOGIという言葉を知りました。自分がどんな(本人の認知する)性別の人に惹かれるかの「性的指向Sexual Orientation)」、自分の性別をどう認識しているかを表す「性自認Gender Identity)」の頭文字を取った言葉だそうです。

「性別」は皆もっているのだから、皆、当事者なんだ。それならむしろ、それぞれが自分のSOGIについて考える場が、社会のなかで積極的にもたれていけばよいのではないか。家庭、学校、職場、それらを含めた地域のいたるところで、SOGIを問い、理解を深める機会が織り込まれていけばいいな。そう思った。

とってもよい勉強会でした。また参加したいです。

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文中の、「みんなが性別という面で当事者なのだから、自分の性的指向性自認について考える場があると良い」というのは本当にそう思います。LGBTという言葉で分けずに、みんなで、ここから始めていければ良いと感じます。

 

「大多数のもつ価値観が前提とされて動く社会」において少数者の生きづらさを解消するのは、多数者との共通項を探って、そこから始めることで道は拓けるのかもしれません。

 

あー。改めて、良い勉強会だったなぁ(自画自賛

※本当は講師の先生方、参加者のみなさま方のお陰です。ありがとうございました!

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しち おう/志智 央
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