稲沢市議会議員 しちおう ブログ

不登校を経て、作業療法士として病院に勤務、現在は稲沢市議会議員として活動する「しちおう」のブログです。

その声の主も、私たちと同じ人間なのに。

先日、海外のお客さんがあった。

知人の「しちおうに会う」という言葉を「しちおうに会う→しちように会う→市長に会う」と勘違いして、市長に会えると思って付いて来たらしい。その方のガッカリ具合を思うと申し訳ないけど、しめしめ…新たなおもしろい勘違いができたわ、グッジョブと思った。

 

 

さて、そんな名前エピソードに事欠かない私は、FacebookTwitterというSNSをたしなむ程度にやっている。

頻度は9割がFacebookで、1割がTwitterといった具合だ。

両者の区別はいろいろとあるけど、一つは匿名性の差だと思う。Facebookは“原則”実名登録になっている(本名でなくても登録はできるけど、実名登録者が多い)Twitterは反対に匿名性が高く、どこの誰が言っているかほとんど分からない。

 

匿名性は人を凶暴にするのか。

SNSを覗くと、いろんな言葉が綴られている。言葉に善し悪しがあるかは分からないけれど、見ず知らずの者に対して投げかけられる鋭利な言葉や、見るのも不快な言葉が並んでいる時もある(幸いなことに、自分に投げかけられることはありません)

  

それを可能にするのは匿名性だと思う。

誰が言っているか分からないから、何を言っても良いと思っている。

私はネットと共に育ってきた世代だ。昔からネット上でのマナーは問題視されていて、ネチケット(ネット上のエチケット)という言葉が飛び交っていた。“対面して言えない言葉を、ネットだからという理由で使わない”という前提が成り立っていたけど、どうやらそれが通じない時代になってきたらしい。

 

それを可能にするのは匿名性であり、増幅するのは想像力の欠如だと最近感じる。

 

想像力を取り戻す。

先日、海外のコールセンターで、職員のストレス軽減をする取り組みが紹介されていた。

呼び出し音に待たされてイライラする客と、そのイライラを受け止めるコールセンターのオペレーター。両者の関係性を改善するため、呼び出し音を“オペレーターの家族の声”に変更したのだけど、客の態度が大きく変化したらしい。

 

具体的にはオペレーターの家族に協力してもらって、「私の親切で勤勉な娘が、もう少しで対応させて頂きます」、「僕の大好きな妻が、すぐにあなたの問題解決の手助けをします」、「私が世界一好きなママが、すぐにお助けします。もう少しだけお待ち下さい」とアナウンスする。

 

これだけで、客とオペレーターの感じるストレスは大きく改善した。

「オペレーターにも家族がいて、戸惑ったり、傷付いたりする普通の人間」という事実が、相手を尊重するという気持ちを取り戻すキッカケになったのだと思う。

 

この人も自分と同じ人間だ、という当たり前のこと。

私たちは、お互いの顔が見えないだけで、容易に傷付け合ってしまう。

分かった風のことを書いている私も、コールセンターに30分近く待たされて怒ったことがある。あの時のオペレーターは仕事を終えて帰宅した時に何を思ったのだろう、と考えると申し訳なさがこみ上げてくる。

 

だから、自戒を込めて思う。

顔を突き合わせて言えないような言葉は、顔を突き合わせていない環境でも言わない。

自分の思いや気持ちは伝えるけど、相手も一人の人間であることは忘れない。

 

これは、SNSや問い合わせに限らず、いろんな場面で言えることだと思う。

世の中から段々と想像力が失われていくような怖さを感じる中、自分自身の中からも失われるかもしれないそれに敏感でありたい。

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しち おう/志智 央
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