私は中学2年の終わり頃から2年間ほど、ひきこもりで学校へ行っていませんでした。
もう15年以上前のことですが、当時はひきこもり・不登校について触れた話が今よりも少なく、インターネットも発展途上で、限られた情報しか入ってきませんでした。
「学校に行けない者がその後どうなるか?」私が一番知りたかったことの答えは、多くの場合期待したものとは異なりました。聞こえてくるのは、「社会に適応できなかった者はろくな仕事に就けない」といった言葉ばかりで、ひきこもり・不登校になることは、その後の可能性が無くなるということだ、と感じました。
私が本当に知りたかったのは、もう充分に思い知らされている「お前はもうダメだ」ってことではなくて、ひきこもっても、不登校になっても大丈夫。ちゃんと生きていける。という可能性でした。
学校から離れ、様々な人と触れ合うことで、今まで生きてきた世界はなんて狭かったのだろう…世の中にはいろんな人がいて、いろんな生き方があって、そのどれもが正解なのだ、と思えるようになりました。
ひきこもりや不登校だけでなく、“普通”とは異なる道を歩む人がいます。その道は多くの人が歩むものとは別で険しい道なのかもしれませんが、「こんな生き方もある」という可能性を広げてくれます。
ひきこもりになったらダメだ、不登校になったらダメだ、障害者になったら…のような悲観的な話よりも、ひきこもりになってもこうやって生きている、障害を負っても楽しく生きている、など様々な人生の生き方や、実践の方が私は知りたいし、大切だと思っています。
そんな思いで、私はひきこもり・不登校を公言するようになり、当事者家族と話をする機会が増えましたが、「学校に行くことだけが正解で、行けない自分はダメなんだ」と苦しむ人は未だに多いと感じます。特に子どもは手に入れられる情報量が少ないために、「学校に行かなくても何とかなっている人たち」と出会う機会がなかなかありません。
子どもたちが、もっと気軽に、いろんな生き方をしている人たちと出会う機会を増やしていきたいですし、私も少しでも力になれるよう自分の体験を通して伝えられればと思います。こうなったらダメという不正解よりも、正解の数を増やしていく方が、多くの人の生きづらさを減らしていけると感じるからです。