前回の記事をSNSでもあげたところ、友人から様々な反応がありました。
LGBTと言う単語自体が初めてである方、私が扱った“教育”の後の“就労の困難さ”にまで目を向けている方、勉強会のお報せを下さる方、それら全て、文章を見て一緒に考えて下さった全ての方に感謝しています。
実は記事を書く前に、海外でLGBTによるいじめで命を絶った男の子の話を見ました。
それを憂いた、他所のLGBTの兄弟が、親に対して同性愛者であることをカミングアウトする映像をyoutubeに流しました。
親は、逡巡した後に「それでも子どもを愛している」と告げました。
もし自分が同じ立場だったら、それが言えただろうか…
ずっと心に残っていました。
私は残念ながら、LGBTに限らず、様々な人に対して壁を持っていると思います。
そんな自分をもどしく感じます。
前述した親のような、かっこいい大人にどうすればなれるのか。
どうすれば、どんな人に対しても愛情を持って、対等に、接することが出来るのか、私の課題としてずっと横たわっています。
いじめ、迫害、嫌悪、妬みなどの感情、
世の中にある様々な課題の根本にある、「多様性を認められない」こころ。
それは、相手に対してだけでなく、自分に対しても向けられ、
私たちが幸せになることを遠ざけています。
多様性を否定することが、巡り巡って、その一つである自分を否定している。
「あなたは存在していても良いのだ」と伝えることは、「私は存在していても良いのだ」と自分に言うことと同じなのだと思います。
すぐに全てがうまくいくわけではないけれど、
個人としても、社会としても、乗り越えるための大きな挑戦が必要なんだ。