ある人が言った。
「子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるのだろうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がない。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と。
僕は生産性という言葉を、仕事や家事に対してではなく人に向けられた時に、こんなにも嫌な気持ちになるとは知らなかった。
このモヤモヤとした気持ちをうまく言葉にできない間に、「LGBTで養子縁組をしている人もいるから、それは失礼」という言葉を見た。これは一見、冒頭の言葉への反論に見えるけれど、言いたいことは同じなのだろうと思う。
つまり、子どもを産んだり、育てたりしている人が尊いという考えだ。
もちろん、子どもを産み、育てることは尊い。僕もそう思う。
でも、子どもを産み、育てない、あるいは育てられない人も同様に尊い。
僕は、人を役に立つ、立たないで判断することにとても違和感がある。単純に人の価値はそんなことで量ることができないというのもあるし、「役に立つ」、「立たない」で人を判断し始めると、いざその判断基準に自分が適わなくなった時(役に立たなくなった時)のことを考えてしまう。
僕らは歳をとるし、多くの人は病気になる。突然、職を失うかもしれない。いつ人の助けになるか分からないし、高確率でいつかは間違いなく誰かの手を借りて生きることになる。僕らはいつ当事者になるのか分からない。役に立つ人と立たない人、助ける人と助けられる人との境なんて実は曖昧なんだ。
だから、役に立たないと感じても良いし、それを止めはしないけど、
せめて言葉にはせずに誰かを傷付けずにいてほしいと思う。
しち おう/志智 央
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