稲沢市議会議員 しちおう ブログ

不登校を経て、作業療法士として病院に勤務、現在は稲沢市議会議員として活動する「しちおう」のブログです。

学ぶためではなく、働くために大学へ行く現実。

持続可能な地域を作るヒトを育てる「政策塾」の第2回講座に参加しました。

shichioh.hatenablog.com

 

大学に通う意味。

今回のテーマは、“人口減少社会における、子育て支援と学校教育”でした。

講義のディスカッションの中で、県外から愛知へ学びに来ている大学院生が学歴と就職との関係性について話してくれました。要約すると、「生まれた地域では、学歴が大事な要素として存在していた。【いい職場】に勤めるには大学へ行くことが必須で、地元の働き口が少ないために、【自分の将来の選択肢を増やす】ために進学が必要だった」

 

「大学に行ってほしい、という親の希望もあって入学するけど、進学の意志が弱い人は辞めていってしまう。【学ぶためではなく、働くために大学に通うこと】に疑問を感じている」と話していました。

 

 

大学が、いわば就職のためのライセンスになっている。大学生の素直な気持ちが表れていますし、同じ思いの人は多いと感じます。

かく言う私も、「大学に行く意味は何なのか?」を長いこと考えてきました。そして辿り着いた原因の一つは、日本の学歴社会でした。

 

「いい人生」から逆算する成功の方程式。
「いい人生」のためには、「いい職場」に入ることが必要で、そのためには「いい大学」を出なければならない。こんな方程式を、人は生まれてから22年かけて解いている気がします。
 
 
昔はそうだったのかもしれない。でも、有名企業の業績が傾く、そんな先の見えない時代の中で、この方程式通りにコトは進みません。それに、「いい人生」は人それぞれに存在しているため、「いい職場」に入っても満たされない人は当然います(残念ながら、このことに気付くのは、受験あるいは就職を終え一息ついてからですが…)
 
学歴社会からの転換。
学歴が、その人の能力の「一部」を表すのは否定しません。有名大学を出ている人で、頭の回転が早い人をたくさん知っています。ただ、有名大学を出ずとも、能力を持っている、あるいは幸せな人がたくさんいることも私たちは知っているのです。
 
 
社会は一面的ではありません。
そして、そんな簡単に正解なんて導き出せやしません。
 
 
「学ぶことの意味」や「働くことの意味」の根底にあるのは、「生きる意味」そのものだと思います。私たちは、いい会社が大企業だけを表しているのか、安定とは何なのか、どんな状態になれば幸せと感じるのか、改めて自身に問い直す必要があります。
 
 
 
残念ながら、企業や人が学歴を重要視する現状はまだ続いています。
でもそれが、成果や幸せには必ずしも直結していないことに気付き始めてもいます。
 
いろんな経歴の人がいて良い、そして何歳になっても、学び直すことができる。
そんな環境作りが必要ですし、どんな人でも高校・大学など義務教育以上の教育が受けられて、学歴以外の要素でも評価される社会への転換が求められています。
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しち おう/志智 央
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