SNS上で、“注文を間違える料理店”が、話題となった。
東京都内で期間限定オープンしたこのお店。注文を間違える…って、どういうこと?と最初は思ったのだけど、理由を聞いて、なるほど。接客を担当する方が“認知症”のために、頼んだものとは別の料理が運ばれてくる可能性がある、ということらしい。
一本とられた!というか、とてもおもしろい!
一見すると短所に感じる部分が、長所に転換されていて、素晴らしいアイデアに感じた。反対に、なにがくるのかな?、どんな間違えをしてくれるかな?、という失敗を心待ちにする謎のポジティブささえ生み出している。
このお店が話題になるのは、秀逸なアイデアだからだけど、このお店を「いいね」と許容する人の多さも表している。私は、それに救いを感じる。
間違いを指摘したり、責めたりする風潮が年々強まり、なんのために、誰のために、が抜け落ちた、ただ謝るだけの謝罪(反省している姿勢を見せることに、重きが置かれる)をよく目にする。そんな中で、別に間違えたって良いし、そんなことは些細なことだ、と思える人がいるということは、私たちにとっても、救いだ。
認知症の方にとっても、人や社会との繋がりを持つことや、頭と体を動かす機会があることとても良い効果がある。また、お客さんは、意外性と相手に寛容になれた自分自身を得ることができる。win-winの、とても良い関係性だと思う。
短所をオープンにすることは、とても勇気がいることだ。
誰にだってできることではないけれど、こういう場所と、許容する人が増えてほしい。「自分はこういう人間だ」と公表することで、去っていく人も、確かにいるけれど、歩み寄ってくれる人もいる。勇気を出して、辿り着いた人と場所は、大きな喜びになる。
認知症や何らかの短所に限らず、自分を出すことが許される社会であってほしい。
まずは、自分でできることから、ということで、
このお店以外の、ふつうのお店でも、注文を間違えられた時に、「ま、これでもいっか。シェフの気まぐれメニューってことか」と、思えるゆとりを、私自身も持ちたいと感じた。「ま、いっか」と自分や周りにYESと言えることは、とても重要なのだよね。
【参考記事】
注文を「忘れる」料理店 ふしぎなお店が目指すものは(市川衛)