稲沢市議会議員 しちおう ブログ

不登校を経て、作業療法士として病院に勤務、現在は稲沢市議会議員として活動する「しちおう」のブログです。

障害と健常とを分ける意味って何だろう。

混じり合うから見える。

先日、障害のある子を育てるお母さんから、「インクルージョン教育ってどう思う?」と聞かれた。インクルージョン教育(アメリカの教育手法)は、障害があっても大半の時間を通常学級で過ごすことで、特別な必要な必要な時は、スタッフが授業に入る(日本で言う加配の先生)、あるいは合間に専門の授業を受ける(作業療法士※などの専門スタッフによる介入)方法がある。

発達障害および教育分野で働くリハビリテーションスタッフは海外で特に多い

 

私は、現場を見ていないので何とも言えない部分はあるものの、「障害と健常」とを分けることへの違和感から、共に学ぶことを促す教育には賛成だと思った。

世の中には、「障害と健常」だけではなく、「学校に通える子と不登校の子」「高学歴と低学歴」「既婚と独身」「子どもの有無」、当たり前に存在する“差”をやたらと大きく取り上げるようなフシがある。

現状を不幸だと嘆けば、遠いところから「かわいそう」と言われ、幸せだと言えば「本当に?そちら側で良いの?」と多数派の価値観から判断される。

それは、人々を分け隔てる壁みたいなもので、多数派にいられる内は安心だけれど、少数派になった途端に不安になり、そのレッテルを貼られまいと生きさせる圧力のようなものを生む。

 

 

私が子どもの頃、同級生に難聴の子がいた。聞こえないことによる嫌がらせはあったけれど、子どもはコミュニケーションする方法を子どもなりに考え、疎通できていた。

しかし、彼女は途中で聾学校へ転校した。何で分けられたのか、そのままでは行けなかったのか、彼女が本当に望んだことなのか、答えは分からない。ただ、その出来事は、「教育段階で分けられたその先の社会では、同じ土俵で生きていくのに、どうして分けられてしまうのだろう」という疑問を私の中に残した。

 

 

手話を覚えた子は、手話そのものを学びたかったわけではなくて、彼女とコミュニケーションをとりたくて覚えていた。彼らの世界は、彼女を分かろうとすることで広がっていた(彼女だけでなく、どの難聴の人に対しても会話できる、仲良くなれる可能性を手に入れた)のだけど、伝える相手がいなくなることで、使う意味も失って、彼らの多くはもう手話を忘れてしまっていると思う。

確かに存在しているのに、住む世界を分けられてしまうことで、まるで無いものかのように感じられてしまう。ごく身近にあるからこそ、私たちはお互いを理解するために、歩み寄ったり、工夫したり、助け合ったりするのだと感じる。

だから、できる限り境界線はなくして、いろんな人が混在していける社会が重要なのではないかと思った。

 

分けることだけが、分かるための手段ではない。

誤解されると困るのだけど、私は、インクルージョン教育に傾倒しているわけではない。メリットの裏にはデメリットもあり、教員からお世話係を押し付けられた児童が障害に対する排斥思想を持ったり、障害のある子が社会で生きるために必要な特別なスキルを取得する時間が割けなくなったりすることもあると聞く。 

分けられて分からなくなることがある一方で、混ざることで見えなくなるものもある。以前に紹介したけれど、特別な支援を受け入られる学校の良さも実感している。−過去記事【愛知県立いなざわ支援学校で感じた、学び場に必要な多様性】−

 

聾学校に行ったあの子は、そちらの方が幸せだったのかもしれない。それは本人にしか分からない。ただ、分けることだけが分かるための手段ではないということ。そして、彼女と一緒にいられたからこそ、自分とは違う人がいる、でも友達にもなれると気付くことができた。そんな小学校時代の思い出を、今でも覚えているのは、子ども心ながらに大きな影響を受けたのだと思う。たとえ愛し合えないとしても、せめて傷付け合わずに共にある手段がきっとあるのではないかと思う。

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しち おう/志智 央
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