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しちおう ブログ

不登校を経て、作業療法士として病院に勤務、現在は稲沢市議会議員として活動する「しちおう」のブログです。

手話から学ぶこと

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福祉まつりに参加してきました。
社会福祉協議会主催で、チャリティバザーや芸能発表、ボランティア活動紹介などが行なわれ、大変賑わっていました。

 

開会式終了後、子育てや障害者支援の取り組みと、各団体のことについて知らないことが多かったので、勉強のために各ブースをまわりました。

 

その中に、手話の体験コーナーがありました。

友人が手話を学び、要約筆記(聴覚障害者の方に向け、その場で話されている内容を即時に要約し、文字にする。ノートでの筆記やパソコンでスクリーンに写すなどを用いる)の勉強をしていたり、

聲の形(聴覚障害を理由にいじめに遭った被害者と加害者の、心や関係性の復興を描いた漫画)を読んだことをきっかけに、手話の世界を知りたいと思っていて、参加しました。

 

自己紹介の仕方、挨拶などを教わったのですが、
手や指の形、動かし方それぞれに表すものがあり、意味があることを初めて知りました(たとえば、「病院」は「脈」を表すジェスチャーと「場所」を表すジェスチャーを合わせるなど)

新しいことを学ぶ、それだけで私にとっては嬉しいことでしたが、それ以上に感動することがありました。

 

それは相手の言おうとすることが「わかる」、相手に伝えたいことが「つたわる」、その瞬間の喜びです。

たくさんの「分からない」を経て、伝わった時、ただそれだけで嬉しいことなんだと、根本の部分を見直せたような気がしました。
反対に、普段の「わかる」「つたわる」は、その気になっていただけだったり、多くを伝えなくても理解を求めてしまうような横柄さがあって、雑な疎通の仕方をしていたと反省しました。

 

また、相手の方が通訳や、ホワイトボードがある中それを使わずに自分で直接伝えようとしてくれた気持ちや、口の動きや息に乗る声、表情、指と手と体の動き、いわば全身を使って伝えようとしていくれている姿は、言葉を超えて、伝わってくるものがありました。

私は言葉の力を信じているけれど、それ故に言葉に頼り過ぎて、他のことが疎かになっていたのかな。

 


様々な、人を通して気付くことがあります。

覚えた手話、忘れないようにしないと。