今朝の国府宮駅でのチラシ配り中。
若い女性に「お兄さん何をしているの?」と聞かれました。
政策を広報するためにチラシを配っていることを説明すると、渡し方が弱く、貰って欲しいのかどうか分からず今まで受け取れなかったと話してくれました。
「チラシを渡したい」でも、
「通勤・通学の迷惑にはなりたくない」から、行動が中途半端になっていたのかもしれない。
最初はそう感じました。
しかし、本当にそうなのかな?
迷惑になりたくないから、積極的に配れていなかった?
しばらく考えて、違うと思いました。
本当は、差し出した時に相手に嫌な顔をされたりすることを避けていたのだと思います。
だから、興味を持って近付いてくれる人へ主に、軽く、緩く、手渡ししていた。
そうなると、興味のない新しい人へは渡せずに、同じ人ばかり受け取る形になって同じ資料を渡してしまう心苦しさから、更に消極的な渡し方になってしまう悪循環に陥っていたのだと思います。
迷惑をかけない。
つまり、「相手の為に」「相手を思って」こういう配り方をしている。と言いながら、
本当に守っているのは自分で、相手に嫌な顔をされて自分が傷付きたくなかっただけなのだと気付きました。
恥ずかしい話ですが…
自分の臆病な面を、まじまじと見詰めたように感じます。
更に情けないのは、女性に声をかけて頂くまでは、昔に比べるとチラシ配りも上手になってきたぜ!とか思ってしまっていたことで…
とほほ。。
それから気を取り直して、
普段なら帰る時間でしたが、居残りで配ることを続けました。
避けられても、めげずに配りました。そうしたら、いつもよりも貰ってくれる人が増えました。
嫌な顔も、もっとされると思っていましたが、実際は表情や視線、首の動きや手で、受け取れないサインを出して下さる方が多かったです。
相手はこういう反応をすると、勝手に決め付けてしまっていた部分もあったんだなぁ。
今日の様に、
僕は自分が傷付かないために、自身を言いくるめる理由を作っていることが他にもあるような気がします。
嫌だなと思うことは時々立ち止まって、それは何のためなのか、自分が傷付きたくないだけなのか、理由を見極めたいと思いました。
たぶん、今日の通りすがりの女性が声をかけてくれなければ、気付かずにいたことだと思います。
わざわざ声をかけてくれたことに感謝。
また、そんな消極的な渡し方でも今まで受け取ってくれていた人にも同様にありがたいなと感じました。
まだまだ、これからだなぁ。