稲沢市議会議員 しちおう ブログ

不登校を経て、作業療法士として病院に勤務、現在は稲沢市議会議員として活動する「しちおう」のブログです。

自分たちで街をつくる〜名古屋わかもの会議〜

名古屋わかもの会議に参加しました。

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in 名古屋能楽堂

 

名古屋わかもの会議は、35歳までの若者が地域の将来を考える集まりです。

第6回目の今回のテーマは、“名古屋の魅力”。昨年6月に名古屋市が「都市ブランドイメージ調査」を実施した時に、国内主要8都市の中で名古屋の魅力は最下位。さらに、自身の居住地に対する愛着も低い結果が出ました。

 

「どうすれば街に愛着を持ち、自分たちの街を作っていく意識を持てるのか?」を探るために、乙武洋匡氏の基調講演やパネルディスカッションの後にグループワークを行ないました。

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型通りの答えにならないよう、話し合いはランダムに選ばれた2つのキーワードからアイデアを膨らませました。たとえば、“大学生”ד名古屋グランパスエイト”で名古屋を盛り上げる方法、あるいは“カップル”ד空き家”で〜などです。

 

私たちの班は、大学生×鶴舞公園。一人暮らしの大学生が、転居で感じる様々な不安(周りに知り合いがいない、交通の便、東海地方は地震が心配など)を、地域の魅力を掘り起こすことで解決するアイデアを寸劇を用いて発表しました。

 

 

審査員である岩城元名古屋副市長や藤井美濃加茂市長らを前に、寸劇…(笑)

 

 

私たちの班は、下は高校生、上は社会人である私、ほぼ大学生で構成されていたのですが、非常に人に恵まれてとても楽しく発表。実は寸劇大好きな一面もあってか、見事に賞(会議の協賛企業賞)を頂きました(^^)

 

 

 

自分の街に対する誇りのようなものは、いろんなことを通して築かれていきますが、その内の一つが「自分の事として街を考えること」です。そして、考えるに終わらず行動に移して、結果、何かを変えられた時に「自分にもやれる」という自信が生まれてくる。それは、街づくり以外の部分、その人自身の自信にもなって、「これから」を変えていくのではないかと感じました。

 

そして、なにより、みんなで議論するのって楽しいです。 f:id:shichioh:20170314210952j:plain

 

私の住む稲沢市は、今、自分の街の魅力を探しています。その文脈の中で頻繁に出てくるのは「名古屋に近い稲沢の魅力」です。“魅力的な名古屋に近いから、稲沢も魅力的”と語られる度に、私は自分の街のことなのに、何で主語が「名古屋」なのだろうと違和感を覚えます。

名古屋自体は、危機感を持って、自分の街の魅力を探そうとしている。であるならば、私たちは、それ以上に生きていくための策を考えないといけない。改めて、そう思いました。

 

 

名古屋わかもの会議と比べて100分の1以下の規模ですが、稲沢まちづくりミーティングを通して、若者と自分の街のことに少しずつ取り組んでいきたいです。

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しち おう/志智 央
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3月11日と風の電話。そして、悲しむという作業。

東日本大地震から今日で6年。

日常に追いやられて、頭の片隅にしまわれたあの日が、3月11日に近付くにつれて増える震災関連のニュースで呼び起こされる。常に思い続けることができないことに後ろめたさを感じながらも、たった一日だけでも、思いを馳せることの意味を考えている。

 

風の電話

被災地である岩手県大槌町に、風の電話と呼ばれる電話ボックスがある。

電話と言っても形だけで、電話線は繋がっていない。利用するのは、震災で大事な人を亡くした人たちで、誰にも繋がることのない電話に語りかける。震災から月日が流れた今、残された人はその電話で何を話しかけるのか、取材した番組を見た。 f:id:shichioh:20160329232945j:plain

映像には、一見、震災を乗り越えたように見える人も、電話を手に取ると涙が止まらなくなり、溜め込んでいた気持ちを一気に吐露する姿が映し出されていた。“大丈夫”と必死に上書きした気持ちの下にある、“大丈夫じゃない”という気持ち。ずっと、周囲だけでなく、自分すら大丈夫だと言い聞かせて、“つらい”という思いを心の奥にしまっていたのだろう。

 

「悲しむ」という作業

被災などで誰かを亡くすことと、障害で体を失ったりした後に辿る心の経過はもしかしたら似ているのかもしれない。ショックを受けて、もがいて、次第に受け入れて行く。

そして、いつかは悲しみにさよならを告げて、残された人や日々を生きていく必要があるのだろうけど、その前に「悲しんでいる自分自身の気持ちに気付き、認めること」がとても大切だと感じる。

悲しみを見ないように蓋をして、その上に積み上げられた“大丈夫”は、歪な土台の上に立っていて、容易に崩れてしまう。また、たとえ、同じようにつらい人が周りに居たとしても、その人の持つつらさはその人だけのものだから、悲しい時は、悲しんで良いのだと思う。そうして自分の気持ちを無視せずに、目を向けることが、再び立ち上がるためのプロセスとして必要なのだと思う。

それを促すのが、故人との会話であり、風の電話なのかもしれない。

 

生きているだけで

私たちは、年月を捉える上で、5年を超えたあたりから“区切り”を感じる。「もう5年も経った、いつまでも悲しんではいられない、前を向こう」と勝手に踏ん切りをつけようとする。そして、それをどこかで被災された人にも求めているように思う。

でも、亡くなった人や、失った故郷に向けた心を埋めるには、5年はあまりに短いし、年月は誰しもに等しく区切りを与えるわけではない。大丈夫かどうか決めるのは、年月でも、他人でもない。本人が立ち上がるまで、部外者の私たちは、区切りをつけず、ただ思いを寄せるしかないのだと思う。

 

 

東北地方だけではなく、様々なところで被災された人がいる。また、被災とはまた別で、悲しみに暮れる人がいる。場所や、出来事の大小を抜きにすれば、みんな何らかの悲しみを抱えながら、それでも生きている。別にポジティブでなくても、ネガティブでも良い、別に良いことなんてしなくても、生きているだけで前向きなんだと信じたい。

 

しち おう/志智 央
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しちツアー終わりました〜議会登壇〜

本日、議会での登壇(一般質問→市政全般に対する質疑応答)を終えました!

SNSで、遠回しに「寂しいから来ておくれ…」と告知したところ、6名の方が傍聴に来て下さり、とても嬉しかったです。ありがとうございました(^^)

 

今回取り扱ったテーマは、①地域で生まれてから死ぬまで生活し続けるための仕組み作り(地域包括ケアシステムとも言います)と、②見えない病気や障害のある方への理解を深める取り組み、でした。どんなことを話したか、簡単にまとめます。

 

 

地域包括ケアシステム

「生まれから死ぬまで、自分の住む地域で生活し続けたい」という思いは、誰しもが抱くと思います。しかしながら、平均寿命と健康寿命との差が約10年ある日本では、それを実現することが難しく、多くの人が、誰かの手を借りないといけません。

たとえ、誰かの手を借りたとしても、家や地域で暮らすための仕組みを作る。それが、最近の日本の動向であり、各地が知恵を絞って取り組んでいます。稲沢市も、その一環である病棟(地域包括ケア病棟)が市民病院内にできました。

 

地域包括ケア病棟は、簡単に言うと、急性期を脱した患者さんが在宅復帰の準備をするための病棟です。医師や退院支援に特化した看護師(リンクナース)らが関わり、“退院”をゴールとするのではなく、その後の“生活”にまで目を向けた支援をしています。

 

一方で、退院後の生活を支援する受け皿は、まだまだ未整備。病院と地域の医療・介護スタッフ、施設、行政が別々に活動していて、連携が不充分であることが課題でした。

 

関係者間の連携

約1年前からその課題は指摘していて、来年度より、連携を円滑にするため、インターネットを用いて情報交換する“ICTシステム”の導入が検討されています。

ICTシステム…患者さんの情報を、インターネット上で共有。関係者であれば、いつでも、どこでも患者さんの情報をパソコンやタブレット端末で見たり、書き込めたりできる。

 

私は、それ自体には賛成なのですが、選考のプロセスで気になる点がありました。1つは、システム選考に関係者の意見が反映されなかったこと、2つ目は、市が抱える課題と向き合う前にシステムが導入されたこと(似たシステムの運用がうまくいかないまま、次のシステム導入が検討された)

 

以上の2点については、説明と改善を要望。関係者の意見を聞くこと自体が連携の始まりであること、失敗を次に生かすために現事業の再評価が必要と話しました。また、質問の中で、担当課と病院との連携がとれていなかったり、他市との広域連携や他課への波及が想定されていなかったりも分かったので、その点も追及させてもらいました。

 

入院後に訪れる現実〜退院までの期限〜

前述した地域包括ケア病棟の入院期間は、原則60日以内ですが、

障害により、入院前の体ではなくなってしまった患者さんにとって、元の生活に戻れるかは不安です。家族も、家で見られるか、介護できるのか、とても不安に感じています。しかし、短い時間の中で、その後の生活について選択せねばなりません。

早期退院が促される中で忘れがちですが、体と生活のケアだけでなく、心のケアが非常に重要です。事実、脳卒中後には、うつ病の発症率が約4割と非常に高いのですが、心の不調がその後の生活の質に直接的に繋がる研究結果が出ています。

 

私は病院勤めの時から、この問題がずっと気がかりでした。

本人と家族が自信を持って家に帰れるように、“体だけでなく、心と生活のケアも必要”ということを、問題提起させてもらいました。

 

見えない病気や障害を視る〜ヘルプマーク〜

最後は、以前にも紹介した「ヘルプマーク」の導入についてです。

考案した東京都福祉保健局と電話でやり取りしたところ、なんと実物を送ってくれました! 

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議会で実物を映しながら、解説。

結論から言うと、ヘルプマークの導入は、残念ながら不可。

ただ、目には見えない病気や障害があること、そして対応が必要であることは来年度の職員研修に組み込んでもらえることとなりました。また、緊急時に相手の情報が分かる「救命カード」のような物は消防署が導入してくれることになりました。

 

おわりに

今回は、「一つの部署がダメでも、他の課にあたってみる!」を意識して取り組みました。結果的に前に進んだこともあったので、今後も継続してみます。また、質問に際して、東京都福祉保健局、市民病院や近隣の病院、社会福祉協議会など、いろんな人に直接お話を伺い、それが大変勉強になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

今後も、現場に足を運ぶことを重視して、取り組んでいきます。

 

最後に、傍聴の感想コーナー(感想下さった方、ありがとうございます!)

 

初めて傍聴したが、おもしろかった。専門的で難しい言葉は、お年寄りには分からないため、説明が必要。国会と違い、話題が身近に感じられた。

 

ICTシステム導入の理由の1つが、国や県からの補助金があることが含まれていたり、導入することに決めたシステムを選定した根拠についても他自治体の導入率が8割だったためと福祉保健部長が答弁され、稲沢市に適したものを採用、開発、改良するつもりが全くないことが分かった。医療従事者の希望が全く反映されておらず、使い勝手が悪く形骸化してしまわないか心配。初めての市議会の傍聴で、市の福祉に対する考え方が厳しいものであることを知り、少しずつでもいいので困っている市民の声が部長クラスの人たちまで届くようになるといいなと思った。

 

しち おう/志智 央
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