稲沢市議会議員 しちおう ブログ

不登校を経て、作業療法士として病院に勤務、現在は稲沢市議会議員として活動する「しちおう」のブログです。

150万円の金銭授受はいじめではない?〜原発避難いじめ〜

福島の原発事故によって、横浜市へ自主非難した児童がいじめられていた。

「菌」呼ばわりされたり、暴行を受けたり、同級生に総額約150万円ものお金を払わされていたのだが、調査に入った第三者委員会や教育長はこれを「いじめではない」と否定。受け取った側が「おごってもらった」と話しているため、双方の意見が異なり、いじめの認定はできないというものだった。

 

多額のお金が引き渡され、被害者がいじめられていると認識していても、「おごり」で済まされてしまうことに多くの批判が寄せられ、教育長は後に発言を謝罪した。しかし、言い方の不備を謝っただけで、未だにいじめを認めたわけではない。

 

いじめを受けて、一刻も早く子どもと親には心のケアが必要なのに、追い打ちをかけるように、二次的ないじめとも呼べるような行為が行なわれている。

 

いじめってなんだ−いじめの定義−

これが、いじめでないとするならば、何をいじめと呼ぶのだろうか。

言葉や身体の痛みの程度やお金の多寡など、人の感覚によって違うのか?

そうではない、いじめ防止対策推進法に、「“対象生徒”が心身の苦痛を感じているもの」と明確に書かれている。この文言は、学校側がいじめはなかったとして対応をしなかった“大津市の中2いじめ自殺事件”を契機としており、いじめの定義を明確化することで次の被害を防ごうという想いが込められている。

本来であれば真っ先に「それはいじめだ、やめなさい」と言うべき人たちが「“加害者”がいじめじゃないと言うなら、いじめじゃない」と言う。法律に込められた想いと、彼の死で得た教訓はどこへ行ってしまったのだろう。

 

この事件が他人事ではない理由。

この事件(大人の世界で言うところの傷害や恐喝が行なわれているため、敢えていじめではなく事件と記載)を聞いて、私は中学生時代の体験を思い出した。

ある生徒が下級生に「お金おごって」と言った後に、周りから「それはヤバイ」と注意を受けて「お金貸して」と発言を訂正した。問題が明るみに出た時に、「お金は借りただけ」と言い逃れするためである。

横浜市の第三者委員会と教育長にかかれば、こんな工夫も不要で、「おごってもらった」と言えば済むらしいが、加害者も責めを負わないよう工夫している。これを許せば、悪しき前例となって横浜市から他市、他県へ伝染していく。これから大きな金銭の受け渡しがあっても、大人も子どもも問題にしなくなる可能性がある。

 

さらに言えば、今回は発言者の教育長に批判が向けられているが、彼女を任命した市長や所属する教育委員会、第三者委員会に選ばれた専門家も同様の「認識」を持つことが根の深さを物語っている。

 

これは、原発から非難した子どもだけの問題だけではなくて、どこにでも起こり得る、全ての子と親に対する危険なのだ。

 

 

先進自治体でも起きたいじめ。

私は、いじめの問題に対して早期に第三者が介入する必要性を説いてきた。以前にブログで取り上げたが、自分の住む自治体にも設立された時に「一歩進んだ」と喜んだ。しかし、制度だけでは何の問題の解決にもならないことを痛感させられた。

【過去記事−いじめ問題に対する組織の立ち上げ−】

横浜市教育委員会のHPを見ると、驚くほどに、いじめ根絶に向けた様々な取り組みをやっている。全国的に見ても、進んでいる自治体なのだ。それでも、事件は起きた。

横浜市教育委員会 いじめ根絶に向けた取り組み

私たちは、ここから学ばないといけない。

 

カワイソウで終わらせないために。

では、どうすれば良いのだろう?

横浜市の第三者委員会がまとめた報告書は、多くが黒塗りにされていて経過は断片的にしか分からない。ただ、P.20から始まる本ケースの課題の整理を見ると、他自治体でも留意すべき点が見えてくる。

調査報告書

まとめると、①学校の応対が電話連絡が主で、保護者との直接的な接触が少なかった、②担当教諭と管理職との縦の連絡および教育委員会との横の連絡不足、③児童相談所や警察等専門機関との連係、④ソーシャルワーカーなどの専門家を活用しなかった、⑤調査開始が遅れたこと、が挙げられている。

 

 

全ての学校は今回のケースを教訓にして、「自分の自治体で起きたらどう対応するか?」を真剣に考えなければいけない。関係者で話し合うだけではなく、具体的な事例を用いて解決に導くためのロールプレイをし、一連の流れを公表していく必要があるのではないか。

そして、今回は改めて「いじめの定義」が人によって異なることが課題となった。多くの大人がいじめの定義を学び、いじめを許さない姿勢を示していくことが重要である。

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しち おう/志智 央
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不登校になって良かったこと

私は中学・高校と学校へ行かず、ひきこもっていた。

その期間、何をしていたかと言うと、暇を持て余していた(あくまで私個人の経験で、忙しいひきこもりもいると思う)のだけど、人は一人で膨大な時間を抱えると、良いことは考えないようで、心身ともに不健康だった。今風に言うと、不健康の極みだった。

 

誰かと話したり、出かけたりしたい、と思ったけど、そんな場所はなくて、リア充な空気満載の某スタバに行って、S・M・L以外のサイズをキラキラした店員さんを前に噛まずに言える自信もなかった。

あの時の自分が、落ち着ける場所を作りたい、と思っていたら、「そんな場所が名古屋に出来たらしい」と噂を聞いて行ってきました。

 

不登校・ひきこもりの就労支援を行なう“Cafe スマイル”。

不登校のオーナーが、子どもの居場所や就労体験の場として立ち上げたカフェ スマイル。働く体験を通して生きる技術や、“誰かの役に立っている”経験を通して自分の価値を再確認していく場となっています。(オーナーはバーテンダーなので、夜はバーとして営業。昼夜逆転して夜型の生活をおくる子どもも働ける超絶システム)

f:id:shichioh:20170122110350j:plain(HPより引用)

話を聞いてもらう場所は探せばあるけれど、役割を持てる場所はほとんどない。私は、実際の体験を通して人は変わっていけると思っていて、勉強以外の生きる上で大切な力と技術を学ぶことが出来る場に感激した。当事者の人は足を運んでほしいですし、素敵なカフェ・バー、そしてオーナーなので、純粋にお店としての利用やオーナーとのお話を楽しみに行くこともオススメです。

営業日 平日11:00〜22:00 土曜日8:00〜14:00 (日曜定休)

場所  名古屋市千種区千種2-10-15

Cafe スマイル | 就労体験ができるcafeスマイル|保護者の方々の交流の場としても

 

ドキッ!不登校だらけのOB会。

伺った日の夜は、“不登校OB会”というイベントもあり、こちらにも参加。9名の参加者みんな元不登校という濃ゆい会でしたが、おいしいご飯を食べながら、ゆるく語り合う場でとても楽しかったです。「不登校になって良かったこと」として話した内容や感じたことをまとめます。

f:id:shichioh:20170122115658j:plain(なぜかカメラ目線な私)

不登校になって良かったこと。

私は一時期、もし不登校でなかったらどうなっていただろう?と考えたことがあるけど、それなりに上手くやっていただろうと思う。それなりに良い学校へ進んで、それなりに良い就職をして。だから学校に通わないから良いとも、通うから偉いとも思わない、ただ等しく存在する“選択肢”なのだと思っている。

 

ただ、私は不登校の間にだいぶ性格が尖って、変わり者になった。結果的にそれで失ったものもあるけれど、おもしろい出会いと人生を呼び込むことにもなったと思っている。だから、無理に自分に言い聞かせるわけでもなく、この道で良かったと思う。

 

そして、今、周りにいてくれる人たちが、非不登校ルートだと出会えないかもしれないと思うと猛烈に寂しくなるので、みんな私と出会ってくれてありがとう。変わり者だけど懲りずに遊びに誘ってねと思う。きっと、人との出会いによって、今を肯定できたから、それに繋がる過去も受け入れる準備ができた。

 

 

いろんな事柄がそうだけど、一度、途絶えたからこそ分かることがある。

いじめにより不登校になった人が、人の痛みが分かるようになったということ、相手のことはもう恨んでいないと言う強さ。不登校に限らず、学校や職場、友達や家族など、失ったからこそ再び繋がり直せた時の尊さに気付けて、その度に少しだけ優しくなれる自分がいるように思う。失う代わりに、その経験を経たからこそ成れた自分がいる。

 

 

私は、当事者の人たちへ不登校になっても気にするな、とは言えない。あくまで、私は不登校で良かったと感じているだけで、それぞれの人にそれぞれの正解があると思っている。子どもや若い人が「こんな変わった生き方をしてる人がいるんだ」と私の人生をおもしろがってくれて、いろんな生き方があると気付いてくれたら良いなと思うだけだ。

ただ、OB会参加者9人中全員が「不登校になって良かったエピソード」を持っているあたり、そう悪くない道なんだよとは伝えたい。きっと、曲折を経たことによって辿り着けるおもしろい人生がこの先あなたに待っているし、生きてさえいれば、似合う場所や人が必ずあると私は信じている。

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そう簡単には街へ行かせてくれない交通事情

SNS上で、前回書いたイルミネーションの話をした。

イルミネーションの開催期間が、国府宮はだか祭りの期間と被っていたため、冗談で「はだか男を電飾で飾り付けて夜も練り歩く案」を出したところ、案外ウケた。気を良くした私は「これは良いアイデアかも」と思ったわけだけど、次第に「言い出しっぺのしちがまずやるんだよね?」という方向へ話が進み、墓穴を掘るとはこのことか!と思った。

 

念のため言っておくけど、やりませんから。

はだか祭りの期間中に、友好都市であるギリシャオリンピア市から市長をはじめとした訪問団が来て、委員会の副委員長をさせてもらっている私も応対することになったけど、はだかで電飾付けて応対なんてしませんからね。

 

ぜ、絶対に、やらないぞ?

 

 

 

さて、変な前フリはこれくらいにして本題。

ここ数日、雪による影響のために電車を使って移動しました。主に、稲沢一利用者が多い駅である国府宮駅周辺に用があったのですが、私の家から出向こうと思うと、一度お隣りの一宮市へ出ないと辿り着けません。とても不便です。

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一直線で行きたいのに行けない、もどかしい逆V字。

帰り道に、晩ご飯の材料でも買って帰ろうと思いましたが、スーパーもない。駅の近くに住む私でコレなので、駅からさらに離れた人の大変さは計り知れません。

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一応、1日9本のコミュニティバスがありますが、「本数が少ない→乗らない→採算がとれず本数増やせない」の悪循環に陥っており、私も本数の少なさと夜に走っていない(帰りに使えない)ことから選択肢に挙がりづらいです。

 

 

車が使えなくなって初めて、住まいの交通インフラの弱さに気が付きます。

それは人の気持ちにも影響して、若者はもっと便利なところへ行きたくなるだろうし、高齢者も将来を案じて少ない移動距離で行き来できるところへ行きたくなるでしょう。

 

高齢者の運転事故も増えていて、悲惨な死亡事故も起きています。自身で運転の危なさを自覚している人もいると思いますが、「無いと生活できない」ために免許証を返納できない方が多く見えると思われます。

病院勤務時、脳卒中のために運転が制限される、けど、制限したら生活自体が行なえなくなるケースに頭を悩ませてきました。今後、きっとこの問題は拡大していきます。

 

今後、車の自動運転などの“技術”で改善される部分もあると思いますが、公的にはバスの利便性を増したり(行政も、先進地の視察を行なうなど動いている)、私的にはバスが存続するように一人一人が利用率を高めたり、過疎地方で始まった乗り合いサービスなど助け合いの促進を図ったり、一体となって取り組まなければならない課題です。

 

 

コミュニティバスは、議会でも頻繁に取り上げられていますが、まちづくりミーティングでも扱っていろんな世代と話し合ってみたいな。とりあえず、バスの本数を増やすために、今から行きだけでもコミュバス乗ってきます。

 

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